4月29日は「昭和の日」。
昭和天皇のお誕生日だった。
その日を控え、昭和天皇の「戦争と平和」を巡る
お言葉などをいくつか、改めて紹介しておく。「(海軍の青年将校らによる5・15事件で
当時の犬養毅首相が暗殺され、その後継者の条件について)
ファッショに近き者は絶対不可なり」
(昭和7年5月19日)「日本が(国際)連盟を脱退することはすこぶる遺憾である」
(同8年3月8日)「総理になった東条(英機)は…(戦争を回避すべく)
連日(大本営政府)連絡会議を開いて1週間、寝ずに研究したが、
問題の重点は油(アメリカによる日本への石油輸出禁止)であった。
…実に石油の輸入禁止は日本を窮地に追(おい)込んだものである。
かくなった以上は万一の僥(ぎょう)コウに期しても、戦った方が
良いという考(かんがえ)が決定的になったのは自然の勢(いきおい)
と云わねばならぬ、若(も)しあの時、私が主戦論を抑えたらば、
陸海に多年錬磨の精鋭なる軍を持ち乍(なが)ら、ムザムザ米国に
屈伏すると云ふので、国内の与論は必ず沸騰し、クーデタが起(おこ)
ったであらう」
(『昭和天皇独白録』)(マッカーサーも1951年5月1日の米国議会上院軍事外交
合同委員会で次のように述べている。「彼ら〔日本〕が戦争に飛び込んでいった動機は、
大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」と)「(記者から、大東亜戦争開戦後、
戦争はやめなければならないと、決断された時期を問われて)
若い頃、ヨーロッパを見て、戦争はするもんじゃないと
考えていたので、開戦の時からいつやめるか、いつやめるかと、
やめる時期をいつも考えていました」
(昭和44年9月8日)「戦争の終結につきては機会を失せざる様(よう)
充分考慮し居(お)ることとは思うが、人類平和の為にも
徒(いたずら)に戦争の長びきて惨害の拡大し行くは好ましからず」
(同17年2月10日、『木戸幸一日記』同12日条)「(ご結婚50年を迎えられて、これまでで一番残念だった事は?
との問いに)いちばん残念なことは、何といっても戦争だったと
思います。これからこういうことがないことを祈っています」
(同49年1月23日)「(平和の実現についての質問に)
世界の平和ということをいつも望んでいるところです。
それを実現する方法はどうするか、をいうことは不可能です」
(同44年前出)「皇太子時代、英国の立憲政治を見て、以来、
立憲政治を守らなければと感じました。
しかし、それにこだわりすぎたために戦争を
防止することができませんでした」
(同56年4月17日)
やすらけき
世を祈りしも
いまだならず
くやしくもあるか
きざしみゆれど(昭和63年8月15日、
昭和天皇が最後にお迎えになった終戦記念日)
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